400勝投手・金田正一と弟・金田留広の甥にあたる金石昭人。
なんと身長197cm(現役当時は195cmとしていた)。 身長を生かした高低差ある速球とフォークを武器に、広島→日本ハム→巨人と渡り歩き、一軍での実働16年。プロ通算では20年という息の長い投手でした。
PL学園時代から投手。1978年・春はベスト8、1978年・夏は優勝(逆転のPL)という活躍の一方、この時のエースは身長174cmしかない西田真一。
しかし、その隠れた才能に期待した広島が1979年、ドラフト外で獲得します。
長く二軍生活が続く中、初の一軍登板は1982年。僅か2試合 2.2イニングの内容は2失点 防御率6.75。
その後も鳴かず飛ばず状態が続き、いつ解雇されても不思議ではない中、1985年に6勝(9敗) 防御率5.04の成績を残すと、翌1986年に大ブレーク。
25先発登板 158.0イニングを投げ、5完投 2完封 2無四球 12勝(6敗) 105奪三振 防御率2.68 という好成績をあげ注目されるようになります。
しかし、野球人として恵まれ過ぎた体格が災いしたのか怪我も多く、以後は規定投球回数に達する事無く低迷期が続き、1991年オフに津野浩とトレードで日本ハムに移籍。
すると突然のように好投が増え、移籍一年目の1992年、25先発 183.2イニングを投げ、14勝(12敗) 防御率3,77をマーク。 驚くべきは13完投 1完封 3無四球 という内容。
1990年代に入ると、現在のような投手分担制が確立してきますので、13完投は十分に評価できます。
翌1993年は抑えに回り、32試合 69.0イニングを投げ、9勝1敗13S 防御率2.09 と抜群の安定感。
リリーフながら勝率9割は、当時の抑えが2~3イニングを投げていた事によるもの。 同点又は1点負けているような場面に登板し、残りイニングを完璧に抑えなければできない数字。
1994年 ・・・ 37試合 86イニング 6勝 3敗 18セーブ 防御率2.51
1995年 ・・・ 32試合 35.2イニング 2勝 3敗 25セーブ 防御率2.02
1996年 ・・・ 28試合 25.2イニング 1勝 1敗 20セーブ 防御率2.10
好投は多い反面、1995年頃からイニング数が減り、1997年は先発復帰するも打ち込まれ0勝。
オフに戦力外通告を受ける中、巨人軍の春季キャンプにテスト生として参加し合格。 しかし結果を残せず1998年をもって引退。
妻はバドミントンで有名な陣内貴美子。 婚約時代、陣内の部屋で過ごしていた時、たまたま強盗に遭遇。
刃物をもつ相手にひるむ事なく立ち向かい取り押さえた武勇伝は、新聞にのり話題となりました。
強盗も陣内目的で入ったら、2m近い大男と遭遇とは・・・ 運がない話(笑)
実業家としても成功しているようで、港区と品川区に 「寿司処かねいし」、その他、広島風お好み焼き店や、鉄板焼き店も経営。 野球経験をベースとした著書も出されています。
今でも珍プレー・好プレーに登場する、「敬遠球をクロマティがヒットした」場面。この時、打たれた投手が金石。
守っていて頭上を抜かれた外野手が、PL時代の同僚でエースだった西田真二。
= 通算成績 =
72勝 61敗 0ホールド 80セーブ 610奪三振 防御率3.38
月間MVP2回 最優秀バッテリー賞1回(田村) オールスター出場2回