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Channel: もぐら
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伝説のプロレスラー  高崎山 猿吉(魁 勝司)

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怪力無双の豊登は、異常なまでのギャンブル狂い。
昭和41年、猪木を担いで立ち上げた東京プロレスも、豊登の私利私欲(売上をもっては競輪場に行ってしまうは、招聘外人のギャラまでギャンブルに投資してしまうは滅茶苦茶)が元で、わずか3ヶ月で崩壊。 猪木が豊登を訴えるという泥沼状態に・・・。(後に和解)
そんな豊登でしたが後輩レスラーへの面倒見が良く性格的には温和だった為か、意外にも若手には慕われていたそうで、リングネームの名付け親になる事が多かったようです。

しかし・・・ その付け方が問題。 流石ギャンブル狂らしく、任侠モノ映画や出身地にちなんだものや、動物名を交えて命名する事多々。(豊登は動物の名前を好む傾向あり)
ミスター林 → 林 牛之助
大熊 元司 → 大熊 熊五郎
魁 勝司 → 高崎山 猿吉 (これは、魁が大分県出身である事も理由らしい)
上田 裕司 → 上田 馬之助 (動物の他、任侠モノ映画にも影響されている)
山本 勝 → 山本 小鉄 (任侠モノ映画に影響)
星野 建夫 → 星野 勘太郎 (長谷川一夫主演・伊那の勘太郎から命名) 
田中 政克 → 田中 忠治 (国定忠治をもじったもの)
グレート小鹿 → 小鹿 雷三 (任侠モノ映画に影響)
グレート・カブキ → 高千穂 明久 (宮崎県出身にて)
アントニオ猪木も豊登が命名していますが、これは猪木がブラジル移民者だったからつけたもの。(日本中に佐藤さんや鈴木さんが多いのと同じで、ブラジルにはアントニオさんが多い事を豊登が面白がってつけたもの。よく、力道山が招聘したくても人気があり過ぎて不可だったアントニオ・ロッカから命名した説が流れますが、力道山は、自身のお気に入り漫画 ” チャンピオン太 ” に出てくる 「死神酋長」 を猪木のリングネームにしようとしていました。 たまたま力道山が亡くなったのでよかったものの、存命してたら猪木は哀れな結果に・・・。

魁 勝司は大分県安岐町出身。
身長175cm 体重90kg少々 という小柄ながら、1961年に日本プロレスに入門。
豊登が猪木を担いで東京プロレスを設立すると参加。 
豊登より大分県出身という理由で、リングネームを 「高崎山 猿吉」 と命名されてしまいます。
東京プロレスが崩壊後は猪木と日本プロレスに復帰。本名の北沢 幹之に戻しますが、後に魁 勝司に変名。
(他にも、新海 弘勝 と名乗った時期も有り) 猪木を慕っており、新日本プロレス草創期より参戦。 関節技のテクニックには定評があり、1976年(昭和51年) カールゴッチ杯では優勝。 1981年4月に引退。

人柄が良く、同じ大分県出身の藤波が、「同郷」というだけの理由で日本プロレス入門に際し頼ってきた時、日本プロレス幹部に入門口添えしたのも魁。 また実力も評価されていた為、有望なレスラーがいるとデビュー戦相手になる事が多く、藤波、佐山聡、ヒロ斉藤 の相手もつとめています。

2009年、新日本版プロレス殿堂入り。(グレーテストレスラーズ)
74歳(H28・3時点)になられますが、まだ現役レフリーを続行されているとの事。

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