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伝説のプロレスラー  ヤマハ・ブラザーズ

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1967年(昭和42年)1月、日本プロレスより、二人の小型レスラーがアメリカ遠征に出発。
身長170cm 体重100kg の山本小鉄 ・・・ 当時25歳
身長170cm 体重105kg の星野勘太郎 ・・・ 当時24歳

後に 「新日本の鬼軍曹」 と呼ばれた小鉄は、1963年(昭和38年)に日本プロレス入門。
ボディビルで鍛え、力道山に入門を直談判しますが、「お前のようなチビは無理だ」と一蹴。この悔しさをバネに、1年間鍛えこみ、再度直談判を試みるも結果は同じ。 冷たくあしらう力道山を睨みながら、口を震わせる姿を見た力道山が真剣さを認め、逆転入門を果たしたという豪傑。(力道山最後の弟子とも言われています)

後に 「新日本プロレスの突貫小僧」 と呼ばれ、魔界倶楽部総帥になった星野は、ボクシング出身。
プロヘビー級でも通用すると言われたメガトンパンチを持ちながら、身長が低く、重量級ボクサーとしてやっていくにはリーチが足りない事から1961年(昭和41年)プロレスに転向。 ボクサーらしいスピーディーな動きとパンチを武器に頭角を現すと、翌年には早くもアメリカ武者修行きが決定したという実力者。(ちなみにヨ・コンブという在日・朝鮮人)

1967年4月から二人は、アメリカでも気の荒さNo1というダラスを本拠地にて大暴れ。
小鉄がグランド展開でペースを作ると、ボクサーらしく星野がかき回し、最後はトップロープから小鉄が(時に星野が)ボディ・プレスでフォール・・ というのがお決まりパターン。 
小柄な二人がパワフルに大男と互角の勝負をする姿に感動したファンが、「小型でパワフルな、ヤマハのエンジンみたいだ」 と言い出し、コンビ名を 「ヤマハブラザーズ」 にしたという説が有名ですが、異説では、「山本のYと、星野のHをくっつけようと模索していた時に、日本人関係者がヤマハを提案したというものも有り。
二人とも亡くなっているので、今となっては真相もわかりませんが・・・。

ダラス時代は、”鉄の爪” フリッツ・フォン・エリック に気に入られ(特に小鉄が)、エリック宅にてお世話になっていたとの事。(実は住み込みさせてもらっていただけで、代償にエリックのお世話をしていた異説も有り。)
この間に、NWA世界タッグ王者(テネシー版)や、NWA南部タッグ王者を獲得していますから、いかに人気があるチームだったのか・・・ わかります。

新日本プロレス所属レスラーとなった後の1979年、国際プロレスに殴り込みを行い、IWA認定世界タッグ王者を獲得。 相手が草津&浜口という国際プロレス主軸だった事で名をあげる結果となりました。 
(主力レスラーが小型チームに敗戦し、団体目玉タイトルを奪われた事で、国際の倒産が早まったとの声もあります。)

1980年(昭和55年)、山本小鉄の引退にて、ヤマハ・ブラザーズも解散。
ちなみに信じがたい事ですが、ブラザーズといってもコンビ名に過ぎなかった二人の死去日は・・・
小鉄=2010年8月28日(満68歳) 星野=2010年11月25日(満67歳)・・・。
ファンの間では、「まるで、兄(小鉄)を弟(星野)が追っかけたみたいだ・・・」 と都市伝説化にされた事も。

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