1軍活躍期間は8年間。 その間に、近鉄 → 太平洋 → 近鉄 → 中日 と渡り歩き、通算11勝(13敗)。
プロ野球では名選手と言い難い芝池ですが、プロ入り前の戦績はなかなかのもの。 特に大学時代の活躍は、今でも専修大学において伝説化しているそうで、そういった意味では ”隠れた伝説の名選手” といえそうです。
兵庫県の名門・滝川高校出身。1964年(昭和39年)、夏の甲子園大会地方予選の決勝は、滝川(芝池) VS 育英(鈴木) の対決となり注目されます。 右・下手投げの芝池に対して、左・上手投げの本格派・鈴木啓示の投げ合いは、1-0で滝川勝利。 この完封勝利で芝池は、予選6試合完封という記録を樹立。 第46回 夏の甲子園大会に出場します。
1回戦の相手は、倉橋(南海ー大洋)、加藤俊(サンケイ・他)を擁する仙台育英でしたが、これまた1-0で完封勝利。 結局は二回戦で水谷実雄(広島・他)を擁する宮崎商の前に1-4で敗退するも、怪腕投手として多数のプロ球団からオファーが。 しかし本人は大学を希望し、専修大学に進学。
=東都大学リーグでの活躍=
① 1年生から主力投手となり、春8勝 秋7勝 を挙げ、春秋季連続優勝に貢献した。
② 全日本大学野球選手権では、準決勝で東海大学を相手に完全試合を達成。(この年優勝)
③ 4年間での登板87試合、41勝 ともにリーグ最高記録である。
④ 最高殊勲選手(MVP)2回の他、最優秀投手賞1回 ベストナイン1回 に選ばれている。
1968年(昭和43年)オフのドラフト会議では、近鉄が5位指名。
これだけの投手が下位指名となった理由が、「大学時代の酷使(投げ過ぎ)」とは皮肉な話。
しかし、結果的には8年間と短命で、通算11勝だったのですからスカウト達の眼力が上回ったという事なのでしょう。 江川にも言える事ですが、高校卒業後にプロに行っていたら、新人王くらいのタイトルは狙えた逸材だと思います。 反面、専修大学での華々しい記録は消滅するわけですが・・・。
= 通算成績 =
11勝 13敗 0ホールド 8セーブ 159奪三振 防御率3.34