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伝説のプロレスラー  スティーブ・ウィリアムス

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1993年8月31日 全日本プロレス豊橋大会における三冠挑戦決定戦・・・ 小橋と対戦したウィリアムスは、垂直落下式(脳天落とし)バックドロップを披露。以後、「デンジャラス・バック・ドロップ」 として彼の必殺技に・・・。
実はデビュー当初にも使った事があったようですが、あまりの破壊力と受け身のとれない急角度から怪我人続出。1990年にはオリンピック男・谷津が受け身をとりそこねて脇腹骨折した事もあり、流石に本人も危険だと察知したのか、自ら封印していた必殺技でもありました。

なんでもありと思われがちなプロレス技ですが、そこは暗黙の了解があり、それなりの禁じ手が存在します。
古くはアメリカの各州ではパイル・ドライバーが禁じ手とされましたし、あの馬場の脳天チョップも考案当時、力道山から 「相手を殺す可能性が高い」 と禁じ手にされていた時期があります。(結局はブルーザー戦で解禁)
ブルーザーはプロレス界一の無法者として恐れられましたが、必殺技のアトミック・ボムス・アウェイの際、相手の力量を見ながら片足か両足かを決めていました(大半は片足)。
いまやつなぎ技になっているブレーン・バスターも当初は、コックス式の脳天落としは危険すぎると、背中落とし式のタイプに変化していった経緯があります。
テーズ戦で見せたゴッチのバック・ドロップ封じは逆のパターン。わざとバック・ドロップを食らいながら、自らの体重をテーズの上半身にかかるように落ちた為、テーズは肋骨数本を骨折。 勝負には勝つも、以後半年間、まともに試合ができず、「ゴッチは汚い男だ。勝つためには手段を選ばない」と激怒し、二度とゴッチの兆戦を受けなかったエピソードは有名です。

そんなプロレス界の暗黙の了解が崩れた瞬間が、あの豊橋大会における急角度バック・ドロップだったというプロレス評論家が多数存在。 事実、その後のプロレス界は、受け身のとれないような投げや落とし方の技がもてはやされるようになり、過激ぶりがエスカレートする反面、怪我人続出・・・ 疲労の蓄積・・・ ついには三沢の死(試合での過労の他、運営不振のストレスや多忙からくる不摂生も原因)につながっていきます。

ウィリアムスは大学時代、アマレス大学選手権4連覇の実績をもつ、筋金入りのレスリング男。
それだけに投げ技は得意で、急角度での 「投げっぱなしジャーマン」 や 「オクラホマ・スタンピート」 更には怪力をいかして、「ドクター・ボム(サイドスープレックスの体勢からパワーボムに切り替える技)」 リフトアップ・スラム」 も披露。 全日本プロレスの常連レスラーとして人気を博しました。
反面、ジャイアント馬場は怪力主体に危険技を連発するウィリアムスへの評価が低く、何某につれ酷評・辛評。
これは大柄レスラー特有の身体の硬さが不器用に見える為、レスリング基礎があっても試合運び下手を毛嫌いする馬場らしい評価とも言えます。(オーバーアクションをする鶴田あたりも同じような酷評でした)

三冠ヘビー級王者の他、世界タッグ王者に8回も君臨した実力者でしたが、2009年12月29日、喉頭癌により永眠。(満49歳)

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